「セラヴィ(これが人生)」に救われるフレンチ・ロックダウン
フランスが3月17日正午にロックダウンを開始してから、まもなく一か月が経とうとしています。
フランスでは、3月12日夜にマクロン大統領がテレビ演説を通じて、国民に外出自粛と学校の閉鎖を発表。続く3月14日夜には、フィリップ首相が飲食店の閉鎖を伝えました。そして3月16日夜に、マクロン大統領がフランス全土での強制力をともなう外出制限を発表。翌17日正午からフランスのロックダウンが始まったのです。
国民の戸惑いの声を聞くこともなく、政府は瞬く間に決断しました。私たちに残されたのは「従う」という選択肢のみ。驚くべきことにその直後の世論調査では、フランス国民の96%がこの政令を歓迎、85%がもっと早く出してほしかったと回答しています。
長期戦が予想されるロックダウン。世紀末のような状況下でも、フランス人の根っからの陽気さに救われることが多々ありました。当初は不安に押しつぶされそうだった私は、彼らに影響されて徐々に心がほぐれていったのです。
底なし沼のようだった不安や緊張感はいつしか消え去り、現在は「アグレッシブに生きること」へとマインドがシフトしました。
今回は、そんなフランス人から学んだ「自己憐憫を振り切り、ありのままを受け入れる」ポイントを、ロックダウンの時系列とともにご紹介します!
1、混沌のロックダウン一週目
ロックダウンを分かりやすく言うと「外出制限」となります。外出制限と聞くと控えめに感じるのですが、規定に違反する者は罰金を科せられる、という厳しい内容。
スーパー、薬局、緊急時の通院、自宅から半径一キロ以内、一時間以内の軽いスポーツ、親の介護などの外出は許可。生活必需品以外の店舗は全店営業停止です。たとえスーパーへの買い出しにも、政府が発行した外出証明書を常に持ち歩かなければなりません。
ロックダウン開始後、すぐにスーパーへ食料品の買い出しに出かけるも、トイレットペーパー、パスタ、保存のきく缶詰類はすべて売り切れ。人の考えることは世界共通なんだな、と、変なところで安心感を抱いてしまいました。
私は3月17日よりパリで新しい仕事を始める予定だったのですが、くしくもロックダウン初日と重なったため、数日前にオーナーから契約取り消しの連絡が来てしまいました。このようにフランス全土で完全失業者・一時解雇者が増え始めます。全く終わりの見えないウィルスとの戦い。人々の戸惑いと悔しさは計り知れません。
ところが、ロックダウン開始直後から「コロナヘイター」が突如現れ始めました。この街に暮らして2年近く経ちますが、こんな経験は初めてです。しかし同時に彼らがいかにストレスを抱えているか、妙に腑に落ちました。
大概のフランス人はおおらかで気さくな人ばかりなのですが、この頃私は一部の心無い人たちから「中国人、コロナウィルス」と吐き捨てられるように。
そもそも中国人ではないし、コロナにも感染していません。きっと「八つ当たり」しているだけだから、気にしない。大丈夫、大丈夫……と自分に言い聞かせるも、やはり傷つきます。フランスが好きで、フランス人と結婚して渡仏したのですから、その言われように悔し涙する日もありました。
フランス人の夫はそんなコロナヘイター達を見かけると、ものすごい勢いで怒鳴り蹴散らします。ウィルスへの恐怖と自宅軟禁のストレスが溜まってアジア系に八つ当たりする、フランス人(※ほんの一部です。大概は良識のある優しい皆さんです。)そして「家族の尊厳を傷つけられたら誰であろうと絶対に許さない」という信念を突きとおす、フランス人。
混沌とした状況のなかで、フランスの現実を叩きつけられたような気がしました。
ロックダウン期間は45日間とも60日間ともなるだろうと噂され、「これは大変なことになった」と自覚し始めます。自宅付近は単身者用のアパートが多いせいか、実家に帰ってしまった住人がほとんど。夫と二人きりの長いロックダウン生活に腹をくくります。と同時に「夫婦喧嘩防止策」を発案することになりました。
こうして、ロックダウン生活を無駄にしない試みを始めるのでした。
2、魔法の言葉「セラヴィ」に助けられるロックダウン二週目
二週目に入ると、今度はテレワークをしていた夫が会社から「一時解雇」の通知を受け取ります。あまりにも突然の知らせでした。コロナ騒動が落ち着くまで無期限の一時解雇となりますが、それが二か月なのか、一年になるのかは誰にも分かりません。
いくらフランス政府から補償があるとしても、住宅ローンを抱える身には辛いものがあります。しかし、仏人夫から出てきた言葉は「C’est la vie(セラヴィ・これが人生)」。義理の母親も「セラヴィ」。そして、彼女は「ウィルスに感染するより全然マシ!仕事はいくらでもあるから!ケセラセラ」と言うのでした。
私は渡仏したての頃、この言葉に慣れず、適当だなあとさえ思っていました。あえて日本語にするならば、「人生って、こんなものさ」「しょうがない」などに相当します。しかし今は確かに「C’est la vie(セラヴィ・これが人生)」と思うしかないのです。
政治への批判や不自由への憤りを感じること自体に疲弊してしまい、自然と諦めに近い感覚に。それでも、私たちに与えられたミッションは「家にいること」一択です。しかし「セラヴィ」を口にしていると、「これも人生」「避けられなかった運命の一部」として捉えることができるようになりました。
この頃からフランス国内の感染者、死者の数が爆増し始めます。ロックダウン前がいかに危険な状態だったか、というのを改めて思い知らされたのです。
3、己を鼓舞するロックダウン三週目
一日一回、一時間以内、自宅から半径一キロ以内、ひとり行動なら軽いスポーツが可能です。私は運動不足解消のため、人生で初めてジョギングを始めることに。
ジョギング中には、今までなら絶対に見過ごしていた春の草花を発見するのが小さな楽しみになりました。草花の名前にも詳しくなり、そのことでフランス人の義母とメールでの会話が弾むようになりました。
例年の春より空が真っ青です。空気が甘く、初々しい春の香りがします。鳥のさえずり声で目が覚めます。
人間が活動を停止したことによって、オゾン層復活や二酸化炭素減など、「地球が元気を取り戻している」そうです。人の存在価値をコロナウイルスのおかげで改めて考えてしまいます。
ロックダウン三週目にして、ちょっとずつ変わってきた自分がいます。もちろんフランス人の口癖「セラヴィ」のおかげもあるのですが、怒りや焦りの感情が消え始めました。笑いや遊び心を一番に求めるようになったのです。そして、「生きることへの執着」が生まれました。
また、フランス人の変貌っぷりにも驚かされました。まず、大前提に「ルールは無視するためにあるモノ」を地で行くような国民性です。
当初フランスで疑問視されていた、マスクの必要性。ところが、今ではほとんどの人がマスクをし、ゴムの手袋をはめ、各店舗でソーシャルディスタンス(フランスでは1メートル以上)を空け、律儀に一人ずつ店内へ入っていきます。
もちろん誰もウィルスに感染したくないでしょうし、罰金も払いたくないはずです。私はそこに団結力を感じずにはいられませんでした。
イタリアから始まった午後8時の「一斉拍手」は、今この瞬間も最前線で働く医療従事者たちへの賛辞を表しています。フランスでもロックダウン当初から行われています。「医療従事者が一番過酷な目に合っている」と、あまり乗り気ではなかった私も、三週目にして参加するように。
この午後8時の拍手はもちろん最前線で働く人たちへのものなのですが、それと同時に「私たちは今日もよく耐えられた」「一日を無事に乗り越えられた」「明日も頑張ろう」と己を鼓舞する意味合いでもあるのでは、と思うのです。
4、希望を模索するロックダウン四週目
この頃より、数字(感染者数/死亡者数)をあえて見なくなるように。
「数字」が否応なしに現実を叩きつけてきます。フランス各地で罰則の内容が厳しくなっています。亡くなった方々の無念さを無駄にしないためにも、ロックダウン後にどう行動するか?に焦点を当てるようになりました。
私たち夫婦は、文句を言いたくなるときはギュッと食いしばって、代わりに「メルシー」と言うように。以前は夫婦喧嘩が耐えなかったのですが、ロックダウン中、奇跡的に険悪なムードになったことさえありません。
魔法の言葉「セラヴィ」。「ありがとう」もまた、ひとつの魔法の言葉であると思います。ロックダウン一週目で「コロナウィルス」と言われて出来た、小さな心の傷もすっかり癒えました。そして気持ちを強く持つ習慣ができました。
第二次世界大戦後に活躍した大経営者、本田宗一郎氏の言葉が心に刺さります。
「耐える心に、新たな力が湧くものだ。全てそれからである。心機一転、やり直せばよいのである。長い人生の中で、そのための一年や二年の遅れは、モノの数ではない。」——引用:本田宗一郎
ロックダウンよりはるかに過酷な太平洋戦争を経験した方の言葉には重みがあり、希望を抱かせてくれるものです。
もう恐怖や不安に打ちひしがれている時間は過ぎました。世界は、信じられないスピードで変化しています。どんなに大変な今も、人類は絶対に「過去」に変えていける力があると信じています。
強烈なマイナス局面があったおかげで、強靭な今がある。人が育ち、組織が変わり、社会が一変する。経済と心の立て直しにどれだけ時間がかかるか分かりませんが、ロックダウンが終わったらすぐに全力で行動するのみ、です。
きっと普通に送れる日常が、感謝で満たされるのではないでしょうか。
5、喜びに満ちた「セラヴィ」を待ち望む
「C’est la vie (セラヴィ)」は、「人生なんてこんなものさ」「これが世の常だ」など若干ネガティブな意味合いで使われることがほとんどです。これ以上何もできず、受け入れるしかないような状況における諦めの表現です。反対に、思いがけない何かに突然出くわしたとき・幸運が降ってきたときなど、ポジティブな意味合いで使われることもあるのです。
憎きコロナウィルスですが、このロックダウン期間中に「自分自身を幸せにするためにできることは何か」について、じっくりと考えるチャンスを与えてくれています。外に向いていた目を内側に向けることで、世界の見え方も変わってきます。
人間が幸せに暮らしていくために、本当に必要なものは何か。助け合うことの意味、自分一人では生きられないこと…。再確認すべき「大切なもの」を教えてくれているようですね。
世界がコロナから復活する頃。「これぞ人生だ」「とんだ幸運に溢れた人生だ」と前向きな「セラヴィ」が唱えられるのを待ち望んでいます。
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